<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/">
<title>悠々自適</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/</link>
<description></description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2012-05-06T16:22:46+09:00</dc:date>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://www.typepad.com/" />


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-b153.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-a85f.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-2e91.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-d4d4.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-a532.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-0915.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bbe9.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-a59e.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-10b4.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-39a3.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-b153.html">
<title>気がつけば書斎は四箇所</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-b153.html</link>
<description>　地下鉄日比谷線の広尾駅を下車、歩いて三分ほどで公園に辿り着く。鬱蒼とした森林に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　地下鉄日比谷線の広尾駅を下車、歩いて三分ほどで公園に辿り着く。鬱蒼とした森林に囲まれた有栖川宮記念公園である。&lt;br /&gt;滝が水飛沫をあげる池を眺め、ゆっくりと階段を登ると、高台の先に白い瀟洒な五階建ての建物が眼に入る。お目当ての都立中央図書館だ。&lt;br /&gt;ふとした触れ合いで知った。以来吸い寄せられるように、しばしば足を運んでいる。&lt;br /&gt;閲覧室のテーブルは広く、調べものははかどり、窓の外の緑色の景色に眼を休められる。&lt;br /&gt;五階のカフェテリアで昼食を取る。遠景に六本木ヒルズが見渡せる。ラーメン一杯４００円なり。&lt;br /&gt;　図書館通いはもう四年あまりになる。我家から歩いて五分の図書館を、娘が奨めてくれれたのがきっかけだった。本好きしか芸のない私を見越してのことだったのだろう。&lt;br /&gt;初めは本を借りるしか念頭になかったが、通ううちに閲覧室の活用を覚えた。テーブルで本を読み、ヒントをえて書きものを試みる。周りの数多揃った辞書や百科事典が応援してくれる。文案の推敲にはもってこいの場所なのだ。&lt;br /&gt;「これは第二の書斎だ」と気づいた頃から、身体中にゆとりが宿ってきた気分である。&lt;br /&gt;　気分が乗ると不思議なもので、やがて第二は第三になった。電車で三十分の、大きな図書館をみつけた。広い書棚、全集コーナー、数多い閲覧用テーブル、貸し出し枠は十冊、これぞ図書館の雰囲気が漂う。&lt;br /&gt;最寄の駅を下車、喫茶店に立ち寄りコーヒーを飲み、昼食のサンドイッチを頬張った後、なだらかな坂道をしばらく歩く。&lt;br /&gt;白いハナミズキに囲まれた図書館が、「いらっしゃい！」と歓迎してくれる。&lt;br /&gt;今や通う道筋までがウキウキとする。&lt;br /&gt;　かくして都立中央図書館が馴染みとなり、第三が第四になった。&lt;br /&gt;「で、四箇所の書斎は、どう活用するの？　」と、自問してみる。&lt;br /&gt;「それぞれ持味が違うから」と答える。&lt;br /&gt;それもあるだろうが、「出歩くと、くつろげる部屋が待っている」と思うと、納得がいく。&lt;br /&gt;この原稿も行き帰りの電車の座席で下書きした。すべては出歩くことのお蔭だなあと思いつつ、手帳に図書館通いの日程を書き込む。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>散策紀</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2012-05-06T16:22:46+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-a85f.html">
<title>ああ懐かしい！　博多の暮し</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-a85f.html</link>
<description>　博多の町で３年暮した。もう１０年以上も昔のことだ。 突然、博多の暮らしを思い出...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　博多の町で３年暮した。もう１０年以上も昔のことだ。&lt;br /&gt;突然、博多の暮らしを思い出し、「すぐ行きたい！　」と思った。&lt;br /&gt;だがそうはいかない。でも思い出はどんどん蘇る。いてもたってもいられず、こうしてブログを書くことにした。&lt;br /&gt;「博多で一番の思い出は？　」「中洲の歓楽街？　」「美味しかった魚料理？　」&lt;br /&gt;自分を相手の会話ばかりが続く。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　私にとっての博多の暮し、何よりも思い出すのは「時間」である。&lt;br /&gt;通勤は歩いて１０分。東京と違い、これだけで一日に２時間が自由になる。&lt;br /&gt;土曜日はゴルフ。スループレーで午前中ワンラウンド廻れる。帰宅後は少し仮眠、歩いてすぐのキャナル・シテイーのシネコンで映画を観る。観おえた後は、那珂川沿いの輝き始めたネオンサイン風景を横目で眺め、ゆっくりと春吉橋を渡る。&lt;br /&gt;行きつけの小料理屋に顔を出す。「いらっしゃい！　」と迎えてくれる女将と大将。&lt;br /&gt;まずゴマ鯖を食しながら、二人とよもやま話を楽しむ。周りは馴染みの顧客が集ってくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;やがてネオンサインの輝きが増す。仕上げは、そう、中洲のスナックである。&lt;br /&gt;カラオケを堪能、身体中に溜まった垢を発散する。&lt;br /&gt;「スナックのママは？　」あまりヤボなことは言うまい。「ちゃんと仕事してたの？　」&lt;br /&gt;なんと答えようかな．．．&lt;br /&gt;こうして帰路につく頃は、顔見知りの連中にしばしば出会う。「やあやあ」とお互い笑顔でゆっくりとすれ違う。&lt;br /&gt;ギスギスとかサツバツとか、そんな言葉には無縁の町である。&lt;br /&gt;　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2012-04-21T12:38:55+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-2e91.html">
<title>記憶の新陳代謝</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-2e91.html</link>
<description>　過去をじっくりと振り返ることは、日頃はめったにない。旧友やかって勤めた会社の同...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　過去をじっくりと振り返ることは、日頃はめったにない。旧友やかって勤めた会社の同僚に会うと、たまにつられて昔話に花を咲かせるぐらいだ。&lt;br /&gt;ところがある夜、寝床についた途端、なぜか昔のことが頭の中で巡りはじめた。&lt;br /&gt;社会人なりたてや東京へ転勤した頃。やがて課長就任で張り切った時代に辿り着く。&lt;br /&gt;サラリーマンには課長になるのが夢だ。そこに至るまでの十数年を、あの時はこの時はと、記憶が巡歴し始める。蘇ってくる記憶と付き合っているうち、眠れなくなってしまった。&lt;br /&gt;それに比べればここ十数年のこと、それはついこの間のように実に短く感じる。&lt;br /&gt;この記憶の感覚的な時間差はいったいどこからくるのだろうか。老化現象と片づけてしまうには、なんだか心もとない。&lt;br /&gt;私はこう考えることにしている。要は記憶のキャパシテイーが原因ではないかと。&lt;br /&gt;勿論、個人差はある。稗田阿礼のように、まるで限界のないような人もいる。&lt;br /&gt;だが平均的に考えると、記憶にもキャパシテイーがあるのではなかろうか。&lt;br /&gt;もし仮に記憶に新陳代謝という機能が備わっていればどうだろう。&lt;br /&gt;古いことは忘却の彼方へ、新しい出来事はしっかりと記憶に留まる。だとすると時間が長く感じられてくるかも知れない。&lt;br /&gt;だが実際はそうはならない。記憶の世界の座席は、早いもの勝ちなのだ。&lt;br /&gt;昔の事柄が威張って優先席を占めている。どうしても後々のものには座る席は制約され、知らぬ間に選別される。&lt;br /&gt;そう考えて、これは老化現象などでは決してない、もの忘れを嘆かない心得第一条としようかなと、自ら納得しはじめているところである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2012-02-18T13:00:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-d4d4.html">
<title>先生とタンホイザー</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-d4d4.html</link>
<description>　学生時代に所属した男声合唱団の、現役による定期演奏会を聴きに行った。 ４０年ぶ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　学生時代に所属した男声合唱団の、現役による定期演奏会を聴きに行った。&lt;br /&gt;４０年ぶりだった。&lt;br /&gt;５２年の長きに渡りご指導頂いた先生が、この二月に卒寿を迎えられ、それを機に指揮者を退かれる。ワグナー作曲タンホイザー「大行進曲」を、先生がアンコールで指揮され、現役に混じってOBも歌えるという。&lt;br /&gt;　参加しようか、しばらく逡巡した。本番は暗譜が必須。だが残念なことに、この大曲を歌った経験がない。&lt;br /&gt;学生時代共に歌った友人の一人が、自信のない私を励ますように誘ってくれた。&lt;br /&gt;「出ないと後で後悔するだろうなあ」&lt;br /&gt;意を決し、現役OB２００名を超える仲間に加わることにした。&lt;br /&gt;自宅で譜面をみながら、歌ってみる。ドイツ語の歌詞、セカンドテノールの音程。高いハードルなのか、手ごたえがつかめない。だが数回の練習に参加、自ら歌い言葉の意味と発音を念入りに伝えようとされる先生の姿に接し、少しづつ心臓の鼓動が高まるのを覚える。&lt;br /&gt;　そして本番。歌ううちに全身が痺れてきた。終えた後に襲ってきた、まるで富士にも登ったような高揚感。それは筆舌には尽し難い。&lt;br /&gt;声と声とが響きあい、溶け合う相乗効果。学生時代に味わった歌う喜び。それらが身体中にしみついていて、覚えてくれていたのだろう。&lt;br /&gt;　演奏会終了後、打ち上げ会での先生の言葉。　&lt;br /&gt;「＜歳をとるたびに知らないことも増えてくる＞という文章を読んでハッとした。知らないことを知るよろこび。探究心」&lt;br /&gt;音楽への弛まない情熱、いささかの衰えもみせない探究心。&lt;br /&gt;先生に学んだことの尊さを改めてかみしめながら、先生のお蔭で、お互い声を掛け合いつどいあう友との交わりまでが深まった気がした。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽室</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2012-01-28T09:47:36+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-a532.html">
<title>木登りと百足</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-a532.html</link>
<description>　元旦の新聞、夥しい程の特集記事の中で、ドナルド・キーンの「叙情詩となって蘇る」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　元旦の新聞、夥しい程の特集記事の中で、ドナルド・キーンの&lt;strong&gt;「叙情詩となって蘇る」&lt;/strong&gt;が、眼に飛び込んできた。深く共鳴を覚え、さっそくブログの題材にさせてもらう。&lt;br /&gt;先ずは次の文章紹介から。&lt;br /&gt;「記憶とは不思議なものだ。歳を取るにしたがい、先ほどの出来事、昨日の出来事が次々と頭から消えて行く。なのに思いがけないひと時に、過ぎた日の断面が突然、蘇る」。&lt;br /&gt;まさに今の自分にぴったし、思わず読んで安心する。&lt;br /&gt;毎日２種類の薬を飲む。「今日は飲んだかなあ」と、ほぼ毎日のように我が身に問いかける。すっかり忘却の彼方である。&lt;br /&gt;時々、悩みを家人に打ち明ける。「私も似たようなものよ」と、取り合ってはくれない。&lt;br /&gt;「お互い今を嘆きあうのはよそう」と、彼女らしい生活の智恵かもしれない。&lt;br /&gt;　さて現在、ひとつの書き物を試みている。幼少年期の記憶を辿るものだ。&lt;br /&gt;特別の目的があってでもない。ただ何となく書きたくなっただけのことである。&lt;br /&gt;その中にこんな箇所がある。&lt;br /&gt;―　庭に一本、大きな松の木があった。木登りには絶好の枝振りで、毎日のように登り悦に入った。たまにシャレた服装の綺麗な女性が真下に通りかかる。するとドキドキしながら見つめ続けたものだった。あるとき枝上に百足を見つけ、驚いて父に話すると、父は「父さんも子供の頃、百足に足を刺されて、足が腫れあがったよ」と言った。しっかり注意しろよとのことだったのだろう。木登りはやめとけ、とは叱られなかった。―&lt;br /&gt;多分、８歳頃のことである。父も生きていれば１１０歳になる。&lt;br /&gt;叙情詩ほどではなくとも、あのときの父の話しぶりと表情は、今でも鮮明に蘇ってくる。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2012-01-04T12:25:50+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-0915.html">
<title>年末の片づけ</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-0915.html</link>
<description>　年末恒例の掃除と片づけをした。片づけは主に、身辺の整理整頓。 あまり得意ではな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　年末恒例の掃除と片づけをした。片づけは主に、身辺の整理整頓。&lt;br /&gt;あまり得意ではないが、必要に迫られてか、ない智恵を絞ってやってみた。&lt;br /&gt;そこで改めて気がついた。いかに自分が、いつも欲張った暮らしを試みようとしているか、ということである。&lt;br /&gt;本や雑誌類に交じり、新聞記事切り抜き、絵画展や映画の広告パンフレット、テレビ番組録画類、それと夥しいメモ等々、それらが狭い書斎に散乱している。&lt;br /&gt;これはと思うと、何でも保管したがる習性のせいだろう。保管さえすれば、いずれ忘れずに実行に移すだろうと、勝手に思い込んでいる。そもそも頭の中に情報を溜め込んでおこうとの発想がない。&lt;br /&gt;でもさすが、あまりの散乱振りにしばらく思案する。&lt;br /&gt;保管物と内容を再確認、ほとんど忘れてしまっていることに気づいた。ブログ題材用にと、取っておいたものなど、全く忘却の彼方である。&lt;br /&gt;　そこで恥ずかしながら、思いついた我が整理整頓法を開陳させていただく。&lt;br /&gt;まず内容に沿って項目を設ける。項目ごとに整理する。それらを項目別に簡便にファイルする。活用しそうにないものは廃却する。そしてファイル一覧表を作る。この一覧表を、日頃、眼につきやすい場所に保管しておく。すぐ手に取ると、どこに何があるか、たちどころに解る。そうすれば「さて今日は何をするか」「明日のプランは？」と思うとき、まずこのリストに眼を通せばよいと考えた訳である。&lt;br /&gt;　と今、片づけを終って忘れないうちにと、自省気味にこのブログを書いた。&lt;br /&gt;反省記など書かねばよいが、と早々と自戒だけはしつつ．．．　では皆さん、よいお年を。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2011-12-29T16:52:08+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bbe9.html">
<title>繆斌工作成ラズ　（その１）</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bbe9.html</link>
<description>　繆斌という人物がいた。 ワードで漢字変換するのにひと苦労するが、「みょうひん」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　繆斌という人物がいた。&lt;br /&gt;ワードで漢字変換するのにひと苦労するが、「みょうひん」と読む。&lt;br /&gt;終戦間近に来日した中国人で、蒋介石の意向を踏まえた日中和平工作が目的であった。&lt;br /&gt;だが当時の日本政府の主流派は「にせもの」と見くびり、相手にはしなかった。&lt;br /&gt;その代表は元外相重光葵である。「重光葵日記」にその趣旨が書かれているらしい。&lt;br /&gt;　この人物について、是非とも再評価せねばと挑戦した人がいる。重光説は誤りだと。&lt;br /&gt;戦後三十数年経ってのこと、中国現地に度々足を運び、関係者への聞き取りを行なった。そして一冊の本を書き上げた。その題名が表題タイトルである。&lt;br /&gt;で、その人はと言うと、私の極々親しい友人の父上で、以下Tさんと呼ばせて頂く。&lt;br /&gt;「F君！　ついに真実を証明できる事実が判明したよ」&lt;br /&gt;「ついにやったぞ！」と、言外に響く興奮気味の電話越しの声は、今も耳奥から離れない。&lt;br /&gt;　実はつい最近のこと、日頃めったに読まない『サンデー毎日』に眼を通した。&lt;br /&gt;すると突然、繆斌という活字が眼に飛び込んできた。&lt;br /&gt;保坂正康『昭和史の大河を往く』（シリーズ第２８０回、昭和史の「もし」第３９回）。&lt;br /&gt;「もし繆斌工作から講和が実現していたら」の副題がついている。&lt;br /&gt;まさにTさんが長年抱かれた信念の如き問題意識そのものである。&lt;br /&gt;私はもしやと眼を皿のようにして、Tさんの名前を探した。が、登場はしなかった。&lt;br /&gt;しかしこの著者は、必ずTさんの著作を読まれているに違いない、そう確信した。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―　つづく―&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>読書室</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2011-12-14T09:31:41+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-a59e.html">
<title>「聞き取り」の日々</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-a59e.html</link>
<description>　最近、ある要件で、「聞き取り」をやっている。 現役を半ば引退した身には、場所の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　最近、ある要件で、「聞き取り」をやっている。&lt;br /&gt;現役を半ば引退した身には、場所の設営が問題だった。&lt;br /&gt;仕事現役の関係者は、快く会社で面談に応じてくれた。しかも応接室ではなく、会議室である。聞き取りには筆記が欠かせない。それにはテーブルが便利。説明する側には、時には黒板を使用できる。かように会議室の方が効率的でもある。&lt;br /&gt;　問題は仕事引退組である。聞き取り先は、この方々の方が多い。&lt;br /&gt;始めは一杯やりながらでもと誘ったが、これが大失敗。&lt;br /&gt;周囲の雑音が混じらぬようにと、わざわざ個室まで予約した。&lt;br /&gt;が、酒の勢いは自制心を妨げる。談論風発、もう筆記どころではなくなってしまう。&lt;br /&gt;「頑張ってな」と激励され、別れた後に見たメモは、乱暴な文字ばかり。いくら思いだそうとしても判別がつかない。&lt;br /&gt;懲りた私は、必ず昼間に会うことにした。しかも昼食も挟まない。&lt;br /&gt;ホテルのロビーで待ち合わせ、そのホテルの喫茶ルームで「聞き取り」する。広いテーブルで、追い立てられるプレッシャーもない。&lt;br /&gt;恐らくホテルは、人と人が待ち合わせ、次第によってはホテル内のレストランや会議用部屋、喫茶コーナー等を利用する。宿泊ばかりでなく、格好の商談場所まで提供してくれる。そんな機能もホテルビジネスには織り込まれているに違いない。&lt;br /&gt;　ということで、取り留めない話だが、ブログの発信頻度が落ちたのは以上が理由である。&lt;br /&gt;勿論、休筆宣言ではない。多少の言い訳だが、こんなネタでもご容赦願い、発信をしぶとく続けてゆく。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>エッセイ</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2011-11-23T15:41:35+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-10b4.html">
<title>チェロと共に　（その２）</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-10b4.html</link>
<description>　小学校５年生の頃だ。次兄が小学校の教師になった。 小学校の担任は全科目教える建...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　小学校５年生の頃だ。次兄が小学校の教師になった。&lt;br /&gt;小学校の担任は全科目教える建前だが、音楽だけは例外。ピアノを弾けるのが必須だからである。&lt;br /&gt;それが不満だったのか兄は、是非音楽も教えたいと、先生についてピアノを習い始めた。&lt;br /&gt;我家にはピアノなどあるべくもなく、兄は代用にオルガンを買い、自宅で毎日のように練習し始めた。つられて姉や妹たちもオルガンに向き合い、家中その響きが轟き渡ることになる。「じゃあ僕も」と私も手真似でやり始め、バイエル・チェルニーを自習してゆく。&lt;br /&gt;中学生になる頃にはピアノを弾き始め、「エリーゼのために」などを練習した。&lt;br /&gt;一方でハーモニカにもトライ、舌を使う伴奏つき演奏を覚え、「埴生の宿」を奏でて悦に入ったものだった。&lt;br /&gt;ある時、ピアノ演奏が先生の眼に留まり、コントラバスをやってはと誘われた。当時の私は背が高く、大きな楽器向きだったからだろう。だが練習は放課後学校でやるしかなく、結局、オーケストラ・メンバーとして長続きはしなかった。&lt;br /&gt;高校生時代はギターで「禁じられた遊び」。大学生時代は男声合唱の世界に入り、しばし楽器の世界からは遠ざかった。そして現在、四十年ぶりに新しい楽器として、チェロ練習に四苦八苦の日々である。　&lt;br /&gt;　で、自慢話の如く長々と我が楽器遍歴を語った理由は．．．&lt;br /&gt;先日、目黒パーシモンホールでの音楽会に足を運んだ。楽しい演奏会だったが、とりわけマリンバの楽器としての応用性の広さに感嘆した。本来ヴァイオリン曲のツイゴイネルワイゼンなどを、あたかもオリジナルなマリンバの為の曲のように演奏して聴かせてくれた。&lt;br /&gt;そこで思い起したのが木琴である。&lt;br /&gt;木琴はピアノ同様の配列の木製鍵盤を、ばちで叩いて演奏する。マリンバとは類似楽器である。オルガンの鍵盤を、すぐに弾きこなせたのも木琴練習の成果だ。小学校入学以前から、音階の習得に木琴で馴染んだからであろう。&lt;br /&gt;省みれば幼年期、SP盤を蓄音機で聴いて覚えた歌の数々。それが私の音楽のはじまりだが、楽器としては木琴だったと言える。&lt;br /&gt;　因みに寄り道がてら、音楽教育史を紐解いてみる。&lt;br /&gt;戦後の音楽教育では、器楽が小中学校段階で取り入れられたが、昭和２０年代は楽器の品質も悪く、購入するのも容易ではなかった。&lt;br /&gt;そんななかで、小１ではカスタネットやトライアングル等のリズム楽器にはじまり、やがて２～３年になると、木琴やハーモニカなどの旋律楽器に進んでいく。&lt;br /&gt;かく言う木琴こそ、児童に音楽の素晴らしさを体感させる、格好の楽器だった訳である。&lt;br /&gt;　帰路、マリンバの余韻で木琴を思い出し、懐かしさの余りこの文案が頭に浮かぶ。&lt;br /&gt;そして今、この文章を書いている。いずれも中途半端だった我が楽器体験を振り返りつつ、昔からの合唱仲間の誘いに頭を悩ませながら、せめてチェロだけはもう少しやり続けたいと心に誓ったところである。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽室</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2011-11-05T15:32:56+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-39a3.html">
<title>オーラルヒストリー</title>
<link>http://akioessei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-39a3.html</link>
<description>　最近、オーラルヒストリーに興味を覚え、関連する本を何冊か読んだ。 「聞き取り」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　最近、オーラルヒストリーに興味を覚え、関連する本を何冊か読んだ。&lt;br /&gt;「聞き取り」「聞き書き」を意味し、現代史をリアルに分析する手法の一つである。&lt;br /&gt;手始めは、&lt;strong&gt;御厨貴著『後藤田正晴と矢口洪一の統率力』。&lt;/strong&gt;実に面白かった。&lt;br /&gt;語り手の本音を、聞き手が引き出すにこの上なく巧だ。お蔭であっという間に読んだ。&lt;br /&gt;そう読ませるのがこの手法の持ち味らしい。とりわけ矢口の話が魅力に溢れ、息遣いが聞こえてくる気がした。&lt;br /&gt;　さて矢口洪一。数代前の最高裁長官。ミスター司法行政として、つとに知られる。&lt;br /&gt;立法・司法･行政。立法は国会、行政は内閣と役所、これらは情報公開が進み、連日報道されている。一方で司法、殊に裁判の世界は、偶におきる裁判官の不祥事が報道されるくらいで、情報公開には程遠い。最近でこそ裁判員制度のお蔭か、この世界も多少は私たち庶民にも近づいてはきているが。&lt;br /&gt;　で興味深かった事例を一つ紹介する。最高裁判所の仕組み、特に長官以下十五名で構成される大法廷の実態、そして何よりも十五名の裁判官の数のもつ意味である。&lt;br /&gt;実はこれが問題だと、大胆にも矢口は語る。&lt;br /&gt;「十五人の大法廷でも、よく発言するのは、大体数人です。行政官とか外交官とか学者の方とかは、ご自分の領域はいいんですが、それ以外の領域では経験もありませんし、躊躇される。どういうふうに議論に入り込んでいっていいか、案外気を遣われます。それは、委員会なんかでも同じでしょう。大体、しゃべる人は決まっていて、大部分の人は、それにチョコチョコと口を挟むか、賛成か反対かを言うだけのことで、特に意見を述べない。&lt;br /&gt;幾つかの意見が出てしまえば、そのあとは一人一人が滔々と意見を述べることは、本当に稀なことです。その意味では、十五人は多すぎるかも知れません」&lt;br /&gt;これには背景の解説が必要だろう。先ず十五人の構成。大半は職業司法官、即ち裁判官、弁護士、検事出身だが、その他、学者、役人、外交官等の出身が数人いる。&lt;br /&gt;そうか、裁判にはまるで素人同然の人たちが加わっているのか、と改めて認識する。&lt;br /&gt;選ばれた彼らは見識高いエリート中のエリートである。ならばこそ不見識でピントのずれた発言は許されない。そこで自らを縛り、心して発言しなくなる。これを「十五人の恐怖」と言うらしい。&lt;br /&gt;そこで矢口は言う。「十五人では多すぎる、七人かな（中略）。本当に全員で議論するなら五人で十分でしょうが、まあ七人か九人ですね」。&lt;br /&gt;　私事だが矢口が最高裁長官時代、直接、面と向って話したことがあった。&lt;br /&gt;佇まいは実に風格堂々。が、語り口はユーモア豊かで親近感を感じさせた。でもどこか大局観が漂う。広く深く人間を観察する修養を積んだが故のことだろう。&lt;br /&gt;必ず言葉の合間に、当方の名前を連呼された。「我々の仕事、つまり裁判ですが、一言で言うと、非生産的な仕事です」と語られたのが、強く印象に残る。&lt;br /&gt;　因みに最近、このオーラルヒストリーを試みている。&lt;br /&gt;書くべき主題にとって、いかに的確な「聞き取り」相手を選べるか、この手法の価値がそこにかかっている気がする。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>読書室</dc:subject>

<dc:creator>藤田</dc:creator>
<dc:date>2011-10-08T12:27:18+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>

