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2011年11月

「聞き取り」の日々

 最近、ある要件で、「聞き取り」をやっている。
現役を半ば引退した身には、場所の設営が問題だった。
仕事現役の関係者は、快く会社で面談に応じてくれた。しかも応接室ではなく、会議室である。聞き取りには筆記が欠かせない。それにはテーブルが便利。説明する側には、時には黒板を使用できる。かように会議室の方が効率的でもある。
 問題は仕事引退組である。聞き取り先は、この方々の方が多い。
始めは一杯やりながらでもと誘ったが、これが大失敗。
周囲の雑音が混じらぬようにと、わざわざ個室まで予約した。
が、酒の勢いは自制心を妨げる。談論風発、もう筆記どころではなくなってしまう。
「頑張ってな」と激励され、別れた後に見たメモは、乱暴な文字ばかり。いくら思いだそうとしても判別がつかない。
懲りた私は、必ず昼間に会うことにした。しかも昼食も挟まない。
ホテルのロビーで待ち合わせ、そのホテルの喫茶ルームで「聞き取り」する。広いテーブルで、追い立てられるプレッシャーもない。
恐らくホテルは、人と人が待ち合わせ、次第によってはホテル内のレストランや会議用部屋、喫茶コーナー等を利用する。宿泊ばかりでなく、格好の商談場所まで提供してくれる。そんな機能もホテルビジネスには織り込まれているに違いない。
 ということで、取り留めない話だが、ブログの発信頻度が落ちたのは以上が理由である。
勿論、休筆宣言ではない。多少の言い訳だが、こんなネタでもご容赦願い、発信をしぶとく続けてゆく。

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チェロと共に (その2)

 小学校5年生の頃だ。次兄が小学校の教師になった。
小学校の担任は全科目教える建前だが、音楽だけは例外。ピアノを弾けるのが必須だからである。
それが不満だったのか兄は、是非音楽も教えたいと、先生についてピアノを習い始めた。
我家にはピアノなどあるべくもなく、兄は代用にオルガンを買い、自宅で毎日のように練習し始めた。つられて姉や妹たちもオルガンに向き合い、家中その響きが轟き渡ることになる。「じゃあ僕も」と私も手真似でやり始め、バイエル・チェルニーを自習してゆく。
中学生になる頃にはピアノを弾き始め、「エリーゼのために」などを練習した。
一方でハーモニカにもトライ、舌を使う伴奏つき演奏を覚え、「埴生の宿」を奏でて悦に入ったものだった。
ある時、ピアノ演奏が先生の眼に留まり、コントラバスをやってはと誘われた。当時の私は背が高く、大きな楽器向きだったからだろう。だが練習は放課後学校でやるしかなく、結局、オーケストラ・メンバーとして長続きはしなかった。
高校生時代はギターで「禁じられた遊び」。大学生時代は男声合唱の世界に入り、しばし楽器の世界からは遠ざかった。そして現在、四十年ぶりに新しい楽器として、チェロ練習に四苦八苦の日々である。 
 で、自慢話の如く長々と我が楽器遍歴を語った理由は...
先日、目黒パーシモンホールでの音楽会に足を運んだ。楽しい演奏会だったが、とりわけマリンバの楽器としての応用性の広さに感嘆した。本来ヴァイオリン曲のツイゴイネルワイゼンなどを、あたかもオリジナルなマリンバの為の曲のように演奏して聴かせてくれた。
そこで思い起したのが木琴である。
木琴はピアノ同様の配列の木製鍵盤を、ばちで叩いて演奏する。マリンバとは類似楽器である。オルガンの鍵盤を、すぐに弾きこなせたのも木琴練習の成果だ。小学校入学以前から、音階の習得に木琴で馴染んだからであろう。
省みれば幼年期、SP盤を蓄音機で聴いて覚えた歌の数々。それが私の音楽のはじまりだが、楽器としては木琴だったと言える。
 因みに寄り道がてら、音楽教育史を紐解いてみる。
戦後の音楽教育では、器楽が小中学校段階で取り入れられたが、昭和20年代は楽器の品質も悪く、購入するのも容易ではなかった。
そんななかで、小1ではカスタネットやトライアングル等のリズム楽器にはじまり、やがて2~3年になると、木琴やハーモニカなどの旋律楽器に進んでいく。
かく言う木琴こそ、児童に音楽の素晴らしさを体感させる、格好の楽器だった訳である。
 帰路、マリンバの余韻で木琴を思い出し、懐かしさの余りこの文案が頭に浮かぶ。
そして今、この文章を書いている。いずれも中途半端だった我が楽器体験を振り返りつつ、昔からの合唱仲間の誘いに頭を悩ませながら、せめてチェロだけはもう少しやり続けたいと心に誓ったところである。

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