実力者の悩み
「へーい、いらっしゃい! 」
魚屋八百屋の大将の掛け声が路地に響き渡る。その声に魅かれてか、売り手買い手が向き合って買物をする。
でも今は買物に会話がなくなってしまった、スーパー中心、効率第一の時代である。
と、家事に係らなかった自分が、さも訳知り顔に今からこんなことを書く。
きっかけは次の出来事である。
「ねえー、ちょっと聞いてよ」
珍しく真面目な表情で家人が話しかけてきた。近所のスーパーでの出来事らしい。
たくさん買物をした。帰宅して後、食料品の大半を冷蔵庫に保管した。
一日経って何品かがないのに気がついた。領収書を探し出して品物と照合、支払い済なのを確認した。急いでスーパーに電話、係員は当日の買物時間を聞き、当人の忘れ物なのが分かった。品物は無事手元に戻った。
家人は言う。「あれもこれもと、あせって処理したのがよくないわ。でもよくよく考えると、買い方にこだわりがなくなってしまったのが理由の気がする」。
ときおり買物につきあう。メモも用意せず、並べられた品物を眼で確めながら、テキパキと籠に入れてゆく。側で付き添うと、まさに生活の実力者だと感心するばかりだ。
だが当の本人は、「どこか受身だわ。消費者であることに甘んじていないかなあ」、と自戒している。
確かにスーパーは人手を省き、その分普通の小売店よりも安く大量に売りさばくことを目的に発展してきたのだろう。会話はないのが通常である。
因みに家人はしばしば魚は近所の魚屋で買う。たまに付き合うが、店頭で会話を重ねて念入りに品定めする。魚の選択、そして「量買い」、つまり買う量を指定する。金額は多少はるが、「やっぱし、あの魚屋さんね」と自分で納得している。
実力者の悩みを聞きながら、「さて自分はどうだろう」と、本屋で買うか買うまいか、買物にはその程度しかこだわらない我が身を振り返っている。
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