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2011年9月

実力者の悩み

 「へーい、いらっしゃい! 」 
魚屋八百屋の大将の掛け声が路地に響き渡る。その声に魅かれてか、売り手買い手が向き合って買物をする。
でも今は買物に会話がなくなってしまった、スーパー中心、効率第一の時代である。
と、家事に係らなかった自分が、さも訳知り顔に今からこんなことを書く。
きっかけは次の出来事である。
 「ねえー、ちょっと聞いてよ」
珍しく真面目な表情で家人が話しかけてきた。近所のスーパーでの出来事らしい。
たくさん買物をした。帰宅して後、食料品の大半を冷蔵庫に保管した。
一日経って何品かがないのに気がついた。領収書を探し出して品物と照合、支払い済なのを確認した。急いでスーパーに電話、係員は当日の買物時間を聞き、当人の忘れ物なのが分かった。品物は無事手元に戻った。
家人は言う。「あれもこれもと、あせって処理したのがよくないわ。でもよくよく考えると、買い方にこだわりがなくなってしまったのが理由の気がする」。
ときおり買物につきあう。メモも用意せず、並べられた品物を眼で確めながら、テキパキと籠に入れてゆく。側で付き添うと、まさに生活の実力者だと感心するばかりだ。
だが当の本人は、「どこか受身だわ。消費者であることに甘んじていないかなあ」、と自戒している。
確かにスーパーは人手を省き、その分普通の小売店よりも安く大量に売りさばくことを目的に発展してきたのだろう。会話はないのが通常である。
因みに家人はしばしば魚は近所の魚屋で買う。たまに付き合うが、店頭で会話を重ねて念入りに品定めする。魚の選択、そして「量買い」、つまり買う量を指定する。金額は多少はるが、「やっぱし、あの魚屋さんね」と自分で納得している。
実力者の悩みを聞きながら、「さて自分はどうだろう」と、本屋で買うか買うまいか、買物にはその程度しかこだわらない我が身を振り返っている。

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故郷をゆっくりと歩く

 「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
故郷は四国、人口十万人余りの工業都市。そこで生れて高校卒業までを過した。
両親は亡くなったが、三人の姉たち一家と、今は亡き次兄の家族が暮している。
 数年ごとに、法事や祝い事で帰省する。東京から松山までは飛行機、そこから電車を利用、そして駅に着く。
だが「おっ! 帰ったぞ」と、思わず語りかけたくなる手ごたえがない。少年の頃に滲みついたこの街特有の体臭や、どこか見覚えある人の息吹が漂ってこない。
かって駅には大勢が参集、冒頭の啄木の歌の如く、懐かしい訛りの言葉で賑っていた。
が、今は閑散としている。
懐かしさを探そうと、実家までをゆっくりと歩く。道路は街路樹が続き、街の佇まいは育った頃に比べ格段に綺麗である。でもすれ違う人は殆どいない。自転車も見かけない。
高度成長期のこの街は、朝夕通勤者がペダルを踏む自転車のラッシュが、名物だったのに。
「すっかりこの街もドーナツ化現象さ」
十数年前、次兄がよく言っていた。街は分散化、旧市街一帯も住人は減ってしまった。
増えてない人口も理由だろう。自家保有の豊かさもあるだろう。が、何と言っても自動車普及の影響が大きい。
 「故郷の山に向いて 言うことなし 故郷の山は有難きかな」
歩きながら、連なる山々の姿に自ずと眼が向く。記憶に残る馴染んだ風景である。
三百年昔、あの山一角から銅が採掘され、貧しい一漁村に過ぎなかったこの地は栄えた。
小学校入学の頃には、住む社宅の側を鉱山鉄道が走っていた。学校裏山には、銅選鉱工場跡が残され、恰好の冒険向き遊び場だった。夜には山の中腹に、チラチラと光が見えた。鉱山に勤める人たちが暮す家の灯だと、父が教えてくれた。
県境になだらかな富士に似た山が聳えている。中学生時代、ある友が言ったのを思い出す。「小学生の頃、あの山向こうが、東京だと思っていたよ」
瀬戸内海を船で渡り、本州の地を初めて踏んだのは、中学一年生の時。それまでは、小さな狭い街だが、生まれ育ったこの街こそが、自分には世界のすべてだった。
 「ああ、やはり故郷なのだ」と、変らない山の景色は、こうして昔の風景までも呼び戻し、世界の拡がりを体得していった過程まで辿ってくれる。故郷へ足を踏み入れてこそ、想い出は甦り、たまらない郷愁にかられる。
そして帰路につく頃には、背中に愛おしい故郷を背負う、気持の張りのようなものを感じている。

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