福澤諭吉 「痩我慢の説」 について(その3)
さて如何であろうか。勝か福澤か。というよりも勝の生き方をどう思うか。
私は勝は時代の劇的転換期が生んだ政治家であり、しかも極めて老獪な政治的巧者であると思う。衰亡色濃い幕府にあって、下級武士から抜擢されたが故の、しがらみの無い強みをしたたかに発揮した印象も強い。だが巧みな外交交渉は、極めて利口に立ち回ったイメージが強く、「時代の先を透徹した眼で見通し、来るべき近代国家を想定していた」と言われても、果してそこまで洞察していたのかと、素直には受け入れがたい。勝の生き方に、小林の言う「人心の機微」が拒否反応を起こすゆえかも知れない。
「果たして勝海舟とは如何なる人物か? 」
疑問を解きほぐそうと、再度『海舟余波』を読み返してみる。
著者は勝の残した書簡、日記、全二十三巻にのぼる海舟全集等幅広い資料を駆使し、時局に当り毅然と物事を解決せんとする勝の気迫を、行間から読み取ろうと努めている。
資料の中では、『海舟語録』や『氷川清話』等自伝的なものは韜晦と潤色が多いと冷徹に咀嚼した上で引用し、公平な解釈を窺わせる。こうして『余波』は江藤の細緻な分析もあって、読むほどに勝海舟への共感を誘う説得力に満ちてくる。
具体的な例をあげよう。世に知られる、勝と西郷隆盛との薩摩藩邸における会見である。
徳川慶喜の生命の安全、失業する幕臣達の生活の保証、それと江戸城明け渡し。それら難題を交渉する場面だが、勝の用意周到この上ない動きを、資料を交えながら一部想定も含めて描いている。
先ず江戸の焦土作戦。侠客で江戸の町方火消を束ねる顔役新門の辰五郎に依頼、まさかの時は江戸中一気に放火せよと、その準備を命じた。よく語られる講談調の挿話である。
次に念入りに書かれているのは勝による英国の利用で、一部著者の想像もあるが、西郷の譲歩の背景としてなるほどと思わせられる。
会談の事前に、勝は英国関係者と秘密に会談、フランスが幕府にしきりと抗戦をそそのかす状況を述べ、条件が不利な場合は幕府の武力による反抗をほのめかす。英国側がチャンネルのある薩摩側西郷に対して行使しえる影響力を上手く利用しようと計る。新政府の仮想敵として幕府フランス連合軍を登場させた勝が、結局は英国の圧力を生んで、これを西郷との交渉に徹底して優位なように利用する経緯を、推定も交えて詳細に記述している。
その後、新政府軍の主役が西郷より大村益次郎へと変わり、上野での彰義隊と政府軍の戦闘、函館五稜郭での榎本武揚の奮戦等、思うにまかせぬ勝の苦闘を描いた上で、福澤の『痩我慢の説』を登場させる。しかも上野の彰義隊の戦いの最中、福澤がウェーランドの経済書を講義した情景までをも挟む。
この流れで読むと、勝が死にもの狂いに対応する描写に引きつけられ、福澤の『痩我慢の説』は如何にも綺麗ごとに見えてくるのは否めない。
一方で内田樹〈仏文学者で社会思想家〉は、幕末から明治にかけてのラデイカリストの系譜に、勝海舟、坂本竜馬、中江兆民、幸徳秋水をあげている。(2009年10月11日 日本経済新聞) だが、勝以外の三人が持ち合わせたラデイカリスト独特の青臭い青年のような理想は、勝からはどうしても私には臭ってはこない。
補足だが、自称歴史探偵の作家半藤一利も福澤の『痩我慢の説』を取り上げ、勝が新政府の役に就いた経緯を、初期の兵部大丞は固辞の上に辞退したこと、漸う海軍大輔に就いたのは信頼する西郷の要請でしかも得意の海軍であったこと等、勝に好意的に論評している。だが勝ひいきの半藤も、さすが盟友の西郷が征韓論に破れ下野した後の参議就任には、何故だか分らないとしている。
最後に司馬遼太郎の『八人との対話』を紹介したい。作家安岡章太郎との対談の中で、司馬はこの問題を取り上げている。かってテレビのインタビューで、司馬が「私には勝海舟は書けない」と答えていたのが印象に残り、司馬が勝に触れたものはないかと探したところ、漸う図書館で見つけたものである。
以下は対談よりの抜粋。
<司馬>勝の出処進退の悪さ。つまり、旧幕臣なら旧幕府に殉じろということですね。それが福澤の思っている武士だったと思います。
,<安岡> これがまた、ややこしいねえ。
<司馬>福澤には矛盾がいっぱいあるが、福澤諭吉という精神の中で、わりあい統合されて いる。分析するといちいちややこしくなる。この時期の福澤はね。
<安岡>ただ福澤という人は、しょせん政治家ではなかったように思うね。もちろん裏では動いたけどね。明治維新みたいな、日本全体が半植民地みたいになってくる、まあアジア全体がそうだけれども、その中でなんとか名目だけでも独立を保ち得て、日清、日露戦争までつないでいく。この政治力っていうのは、並大抵のものじゃダメだったんじゃないかな。勝っていう人は、もちろん人格的に見たら八岐大蛇というか、なにがなんだかわからんもんだけどね。しかし勝は、やっぱり強靭だったと思うね。
<司馬>それはそうだ。それ以後、勝に似たやつは日本史のどこにも出てこないからね。
<安岡>出てこないね。あんなことでよく分裂症にならなかったと思うな。だから福澤がいろんなことを言っても、手に負えるもんじゃないな。
取り留めの無い対話だが、福澤に分が悪い。だが司馬は小説として勝海舟は書かなかった。勝のしたたなか生き方は、司馬小説とは肌が合わないということだろうか。
実践家たる政治家と思想家である教育者、二つの超えがたい相違を、あえて比べながらいろいろ考えてみた。実行家の責任の取り方と教育家の人間に対する理想、それらをどう評価するか。夫々の賛否両論を参考に、広く深く考察するのも歴史上の人物理解の面白さであろうか。
痩我慢の精神とノーブレス・オブリージ。選ばれし者はいかに責任を取るべきか。
勝と福澤の対立は、現在にも厳然として通じる問題を、鋭く我々に投げかけてくれているように思われる。と勝手に決め込んで、機会があれば諸兄の見解をお聞きしたいと思う。
<参考文献> 小林秀雄『考えるヒント』 江藤淳『海舟余波』
半藤一利『昭和天皇ご自身による「天皇論」』 『それからの海舟』
司馬遼太郎『八人との対話』
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コメント
勝海舟の行動を云々するなら、戦争と飢餓で、人が草を薙ぐように殺されてゆく時代において、自らの生命と尊厳を賭けて言うべきことである。平和と暖衣飽食の時代に、紙と筆で言うべきことではない。要するに、慶応四年に言うべきことであって、明治24年に言うべきことではない。まして、明治34年に世に問うべきことではない。慶応年間に福澤は何をしたか。慶応二年に自ら政戦両略を統轄する覚悟も責任も権限もなしに、フランスの軍事的借款による内戦と弾圧を提言したのではなかったか。慶応四年に幕府の衰滅を横目に見ながら「さっさと逃げてゆく」と江戸城内で公然と放言したのではなかったか。その上で24年後に「殺人散財は一時の禍」と言うのならば、この言動の間からは、「他人の悲惨は一時の禍、自らの命は別」という心底しか読みとれない。真に卑劣と言われるべきはこのことであろう。その男が武士道と抵抗の精神を高唱するだと。一体何のジョークだ。
もし敢えて明治24年に言うのであれば、勝海舟の行為が倫理上の不法行為と弾劾するのであれば、明治の安定によってもたらされた自分の利益を不当利得として全て清算した上で言うべきことであろう。不法行為は弾劾するが、それによる自らの不当利得は手放さない。モラルハザードと言われる現代の日本ですら、こんなことは通用しない。
「勝氏もまた人傑なり。(中略)」ではじまる最後の一文はこの問いかけに対する逃避としか僕には思えない。
「痩我慢の説は綺麗ごと」どころか、「日本人はどこまで厚顔無恥になれるのか」という疑問に対する一つの回答である。
投稿: | 2009年11月 2日 (月) 12時41分
「痩我慢の説」は現代においても紙媒体の各種論文・評論はもとよりネット上で取り上げられるほど熱いテーマであるようです。が、どうもネット上だと相手の顔が見えないせいか、両勢力(?)ともに舌鋒が過激になる傾向があるように見受けられ、少々残念に思う場面に出くわしてしまいます。
それはともかく、ネット界隈ではやや勝勢(?)の方が優勢のようでありますなぁ。
いや、面白い。もっといろいろなご意見を拝見したいところです。
投稿: Haru | 2011年6月20日 (月) 15時50分
ご意見本当にありがとうございます。
しかし、過激でしょうか?
「痩我慢の説」の一節、『殺人散財は一時の禍にして痩せ我慢の士風は万世の要なり』ですが、そこにHaruさんの名前を挿入してみてください。
『お前の生命も尊厳も、お前のかけがえのない人々のそれも、お前が築き上げてきたもの全てが、紙屑のごとく引き裂かれ、踏み潰されることなど、大義の実現の前にはとるにも足らないことである。文句を言うな』と、こういうことになります。で、こういうことを平然と言っている当のご当人は何をしていたでしょうか?念を押しておきますが、「何を言ったか」ではありません。「何をしたか」です。
一例をあげれば、先生は幕末、日本の植民地化は免れがたいと、自分の息子を宣教師にすることを半ば本気で考えていらっしゃいますからね。宣教師なら、西欧人に非道な扱いは受けないだろうと。まったく恐れ入った「痩我慢の士風」ですな。
こういう「万世の要」に対し、僕がヘタなことを書くより、遥かに明晰で透徹した定義が与えられていますので、ご紹介します。
「自らが売っている思想で自分を律し、それを自らの行動または生き方の基本にする気ははじめからあるわけがないから、自己の生き方とは全く無関係に、ただ売るためだけに(自己の欲望の充足と読み替えてください)どんな先鋭なことでも、平気で全く無責任に言えるわけである。」
ある異常体験者の偏見(p116)
山本七平著 文春文庫
投稿: 666 | 2011年7月 1日 (金) 22時01分